陰翳礼讃

Hinatabokko 秋口になると、だんだんと陽の光が居間の奥のほうに伸びてきます。
夏のあいだはびっしりと茂っていたコナラの葉っぱもだんだんと落ち始めていて、日向ぼっこしている犬の背中に木漏れ日が揺れています。

陰翳礼讃を改めて読み直しました。
以前は陰翳という言葉がさす様子を"薄暗い"というように感じていたのですが、
読み直すと、すべてを明るく照らし出さないという意味での薄暗さというのもあるのですが、むしろ暗がりの明暗のトーンの変化を重要視しているように感じました。
"隈"ということばで表されているのがそうではないかと。

けれどもこの"隈"というのがとても微妙な雰囲気を指していると感じます。

陰翳礼讃の中に、厠はきちんと清められて薄暗いほうがいい。 最近のトイレは明るすぎるというようなことが書かれています。
私が中学生の頃住んでいた営林署の社宅を思い出します。
古い木造平屋のその社宅のトイレは、黒光りした柱と板に囲まれていて、確かに薄暗く、木戸をあけて入ります。 明かりは奥の大便器の部屋と手前の小便器の部屋を仕切る壁の中で両方を照らす裸電球がひとつ。 中が薄暗いので足元の細い吐き出し窓からは汲み取り口の周りの砂利に反射する光がまぶしく感じたことを覚えています。

谷崎潤一郎氏が書かれているように、この家のトイレ、というより厠は落ち着きました。
現在のトイレとは違った、どこかしっとりとした落ち着きを感じました。

トイレの陰翳を考えたとき。それならば現代のトイレも薄暗くすれば良いのでしょうか?
例えば団地のトイレなどでは、もともと窓がつけられないケースもあります。 電気を消せば真っ暗。 ほの明るい照明にしておけばいいのかというと、それとは違うと思います。

谷崎潤一郎氏は昔の木できた金隠しと比べて真っ白い瀬戸物の便器が厠に合わないと書かれています。
子供の頃の社宅の厠は白い瀬戸物便器でしたが陰翳は感じました。 現代と何が違うかというと、明るい色の床や壁紙、天井からの蛍光灯などでしょうか。  社宅の厠は床板、壁板、天井板とも黒系統であって、斜めからの裸電球や吐き出し窓の光によって、"隈"ができていました。 
もうひとついま思い返して私が感じるのは、水の気配。   肥壷、手水鉢、手洗いの古びた蛇口から垂れる水滴、吐き出し窓の下の苔の香り。  現代のトイレより水の気配がありました。

現代のトイレは白さと明るさで清潔感を出しているといえるでしょう。匂いもなく、清潔感あふれる中でゆっくりと用をたす落ち着きもいいものです。  思い返すと、匂いに鼻を曲げながら、けれどそれもしばらくのこと、低くしゃがみこんで薄暗がりの中で用をたす瞑想のような時間も、今となっては得がたいものです。
現代のトイレでも暗い内装と照明の配慮、水気(みずけ)、ついでに言うと、厠の匂いをしつらえば、昔の厠の落ち着きが出るかもしれません。
・・・自分の家では試す勇気がありませんが。